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体験談

子供の戸籍謄本はどこを探しても父親の名前は載っていない

投稿日:7月 21, 2017 更新日:

妊娠が分かり結婚をする予定が色んな事情と感情で未婚出産=母子家庭を選んで早14年。

子供の父親との出会い、妊娠、出産をした事に感謝している現在47歳のシングルマザー私の体験談です。

1人息子は中学3年生になりました。未婚で出産後も実家暮らしをして子供が4ヶ月になる少し前から保育園に預け働きに行き初め14年が経ちました。

保育園に預けだして生保レディーで2年、工場でフルタイムのパート勤務1年、介護施設のフルタイムのパート7年勤めをしてずっと実家暮らしをしていました。

家賃は要らないし生活費も折半だったのでパートのお給料10万円ちょっとと母子扶養手当で十分だったのですが、息子が中学生に上がる約4年前にこのままパート勤務でやっていけるか不安になり43歳で現在の職場で正職員として介護福祉士の資格も取得し介護職の仕事をしています。

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地元を離れやっと生活と人に慣れてきた頃の出会いと別れ

子供の父親との出会いは30歳になる少し前。私の勤務先の飲食店でお客さんとしてよく来ている関西の人でした。28歳の時に色んな事がありすぎて地元を離れ1年が過ぎた時でした。その人は仕事と遊びを兼ねてよくこっちに来ていたようで来た時には大体お店に顔を出していたようで私よりもそのお店との付き合いは長かったのです。

顔を合わせる度に話も弾むようになり何となくその人が来るのを待つようになった自分がいました。その人が来てくれるとなぜかほっとしたんですよね。その人は私より一回り上の41歳。バツ1さんでした。数ヶ月経つ頃には電話番号の交換をしましたがお店に来たときに私が休みだったら「今日休みやったん?」と電話がかかってくる位でそれが逆に新鮮で大人の感じがして安心できる人でした。

それから個人的に会うようになり仕事が遅くなることやお店の女の子に絡む酔っ払いが来ることを心配してお店を辞める事を言いだしたのですが生活もあるしいずれは地元に帰る予定だと話すと少しなら面倒見るから昼間だけの仕事に就いてくれと言われ、その人を信じそのお店を辞めてアパート近くの喫茶店でお昼だけの仕事に変えました。食事に行けば全部出してくれるし生活用品も必要な物は買ってくれるし、何よりしつこくないのが私とは相性が良かったのです。

その後半年位して初めてアパートに入れてそれから何となく同棲生活が始まりました。仕事の時は関西に帰り終わればこっちに来ると言った距離感で半年が過ぎた頃その人は仕事に行ったきり半月戻ってきませんでした。

私は仕事を休む訳にも辞める訳にもいかないのですが合い鍵を持っていない彼が突然帰ってきたらどうしようと思いながら仕事から帰って来る時間を毎日メールしていましたが1度も返事はなく私は1ヶ月後地元に帰りました。こうやって彼と別れてしまったのです。

それから1年が過ぎた頃、突然彼から電話がありもしかしたらこの世にいないかもしれないと思っていた私は号泣しました。そして私は福岡、彼は大阪の遠距離恋愛が始まり仕事が休みの時は1泊2日でも必ず手土産持って福岡に来てくれました。

私が実家暮らしだったので2泊するときはビジネスホテルに1人で泊まってくれたり、私が2連休になったら交通費は全部彼持ちで関西に呼んでくれたり私がやりやすいように配慮してくれる彼に惚れました。

そして半年位した頃妊娠しました。彼に告げると喜んでくれて私の両親にも会ってくれて関西にお嫁にいくはずでしたが、妊娠が分かった時に私は「この子を1人で産んで1人で育てるかもしれない」とほんとに思ったのです。彼のこと好きだし大丈夫と安心していたはずですが何も告げずに姿を消した彼のことを完全に信じる事ができていなかったのです。でも私のお腹の中の子は1人でも産むと決めていたので何食わぬ顔で会って両親にも会わせました。

それから半年後私の感は当たったのです。その間に私は向こうの両親には1度も会っていないし籍も入れていない10ヶ月になる頃でした。突然連絡が取れなくなりまたもや「死」が頭をよぎりました。そしてようやく連絡が付き「仕事が忙しくてごめんな」でした。私は呆れてしまいこの人と結婚したら苦労はしないでも心配はするだろうなと思い始め、籍も入れない娘の事を心配する両親に申し分けない気持ちで何も状況は話せずにとても息苦しかったです。

妊娠臨月に入り仕事を辞めたと同時に、私のお腹の中で元気に動き回る我が子が愛おしくて仕方がありません。こんな中途半端な男を待つ不安と焦りの気持ちのままで無事出産できるか分からない、こんな気持ちで母親になりたくないと強く思うようになり自分から彼に「迎えにこなくていいから」とだけ告げ私の携帯のアドレスから彼を消去しました。

実は母子手帳をもらった妊娠4ヶ月の頃親の名前を書く欄に父親の名前を書くことができず、母親の欄にはボールペンでしっかり現在の名前を書いていたのです。これは未婚出産をする覚悟を決めていたからです。

その後無事男のを出産し私は母親になりました。両親には出産する半月前に事情を話しましたが正直父親は認めてくれませんでした。

父親を泣かせてしまい、子供好きな父親なのに父無し子になる孫の誕生を望んでいない、生まれてくる子供はおじいちゃんに抱かれる事はないのだろうと思うと我が子にも父親にもほんとに申し分けなくて毎日のようにお腹をさすりながら、お腹の子に謝っていました。

しかし出産すると父親は1人で病院に来てくれて、退院の時も迎えに来てくれました。車の中で父親が発した言葉が「もしかしたら迎えにきてくれるかもしれん」と一言。とても辛くて暖かい言葉でした。とても連絡先は消したなんて言えません。でもうれしかったです。

彼と出会えたことで私は母親になることができ、私に子供を授けてくれた彼を全く恨む気持ちはなく感謝しています。その後彼とはほんとに会うこともないし、連絡も取ってもいませんがどこかで会ったなら「ありがとう」と言えます。

シングルマザーとして

そしてシングルマザーとして出発しました。子供が1ヶ月たった頃表情が出てきて愛おしくてたまりませんでした。寝顔笑顔泣き顔が全て宝物で毎日のように写真を撮っていました。

孫をだっこするはずがないと思った父親がその頃「まだ俺が風呂に一緒に入ることはできんやろうか」と言い出したとき涙が出そうなくらいうれしかったです。まだ首も据わっていないからと断りましたけど、仕事から帰ると必ず孫の顔を見る父親。母親も仕事をしていましたが何も言わず子育てに協力してくれる。両親を心配させましたが親戚のおばさんが「あんた、今の最先端子育てやん、どうしようもない旦那に気を遣って生活するよりもずっと楽やない」と何とも言えない心強いお言葉、ありがたく受け止めました。

幸い私の周りには母子家庭になった友達が3人いたので何かと心強かったですね。

2ヶ月に入り自分も動くようになり生活していくのに収入は必要ですから仕事復帰することにしましたがなかなか仕事が決まらず、シングルマザーになるよりも不安で焦りました。

その時にたまたま母親の担当の保険外交員の方がきて話をしていると「うちにおいで」と言われ保険の営業は抵抗ありましたがそんな事言ってる暇はなくとりあえず役所勤めの友達に相談して空きのある保育園を紹介してもらい行政区は違うところになりましたがその保育園に4ヶ月前から預け生保レディーとして働き始めたのです。

そこにはシングルマザーは多くてびっくりしました。とても皆協力的で自由が効くようで効かない保険外交員の仕事。

お客さんに合わせて出かけないといけなかったり日曜日でも契約取りに行かないといけなかったり保育園が休みで両親に預けたり両親が仕事の時は友達に預けたり、仕事の同期や先輩に付いてきてもらい見てもらったりほんとに色んな人に助けてもらいました。

でも契約なんて簡単に取れる物ではありません。収入も不安定でオムツを買うお金すら間に合わないかもしれない状況になったりしたときに月10万円でもいいから安定した収入と時間が欲しいと思い時給800円の社会保険付のフルタイムの工場勤務に転職しました。

その頃子供は2歳。小さい頃から保育園に通っていたおかげで人見知りもなくとても扱いやすい子で離乳食やおむつ外し、トイレ訓練もほぼ保育園でしてもらったようなものです。

入園して1週間はずっと母乳だったのでミルクが飲めず眠りが浅くいつもぐずって先生に心配と迷惑をかけていました。

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先生から「お母さん、仕事の合間におっぱいを飲ませにこれませんか?」と言われたときはまだおっぱいやミルクしか口にできない子供を保育園に預けないといけない状況にしている自分が情けなくてその夜おっぱいを飲む息子を見ながら泣きました。

でも子供はミルクにも慣れて家では思う存分おっぱいを飲ませすくすく元気に育ってくれました。

3歳の時の運動会で今までは親子競技がメインでしたが年少さんとなり1人舞台に立つ我が子の成長に泣きました。よくここまで大きな病気もせず、保育園に行くときも手こずらせる事もなく成長してくれたなと、この3年間があっという間でしたね。

その後も友達とけんかしたり泣かせたり泣いたり私や祖父母、先生から怒られながらもほっこり癒やしてくれる息子。頼もしかったです。

そして無事5年6ヶ月の保育園生活を迎えた卒園式。保育期間が一番長いということで卒園証書を最初にもらう息子。ちゃんと大きな声で返事をして園長先生の前に行き話を最後まで直立不動で聞く息子に号泣しました。ここまで育ってくれてありがとう。

年長さんになったとき初めて「お父さん」という言葉を子供の口から聞いたとき「お父さん」というものが何か分からないんじゃないか言葉を知らないんじゃないかと思っていたのでびっくりしました。

そしてこの頃勤務していた工場が倒産の危機に陥り希望退職者を募り始め、これから先の事を考えると今のお給料で食べていけるか不安だったので退職希望を出し未経験で介護の仕事に就きました。収入も12万前後に増え入学準備もでき息子の貯金に手を出さずに済んでいました。

小学生になる息子に父親がいないことを説明

小学生になる前、自分にお父さんがいないことに疑問を持っているのではなかろうか?お友達にお父さんの事聞かれて答えれなかったら困るだろうと私は息子に真実を話すことにしました。

お天気の良い日に外で一緒に遊んでいた時です。話を聞いてもまだ理解するには難しいだろうなと思いながらも「○○にはお父さんいなくてごめんね。母ちゃんが勝手に結婚しないであんたを産んだ。でもねあんたを産んだことも結婚しなかった事も全然後悔していないし、あんたのお父さんには感謝してる。今はどこでどうしてるか分からんけどちゃんとありがとうって言えるよ」と話すと「ふーん、分かった」と言ってくれました。

その後近所のお友達にどうしてお父さんがいないかを聞かれ「母ちゃんは結婚せんで僕を産んだからお父さんがおらんと」と答えていました。田舎なので私のように母子家庭の子やましてや未婚の子なんてそうそういるものではありませんが息子は強かったです。

小学校に入り分かったのは昔は父親参観日があったのですが、今の時代母子家庭が多いため父親参観日はなかったのです。

小学校入学後2ヶ月がたった頃拳法を習い始め稽古中は私はそばにいません。泣き出すんじゃなかろうかと思いきや生き生きとしている姿にうれしい様な寂しい様な感情になりました。年上の子達にボコボコに殴られても泣かない息子。稽古中の練習で負けて悔しくて痛くて車の中で大泣きする息子。強い子です。

DSを買ってあげた1年生の夏休み。うれしそうに「母ちゃんありがとう」と抱きついてきてくれたのが昨日の事のようです。

学校が休みの土曜日も私が仕事のため児童クラブに通わせる事は当たり前の事でした。丸1日息子と先生1人の日もあったのですが、「行きたくない」と言ったことはありませんでした。児童クラブに行ってたおかげで年上の子達と仲良くなり、お互いの家を行き来するようになったりお泊まりまでするようになりました。

日々成長していく我が子に母子家庭であることを忘れていました。

拳法の月謝やお小遣いや学用品でお金が飛んでいきます。でも就学援助を受けていたので給食費は後から戻ってくるし学校の校納金なども戻ってきたのでだいぶ助かりました。

小学6年生になった頃子供と2人で暮らしたいと強く思うようになり始めたのと同時に、中学生になれば色んな面でお金がかかるだろう、田舎なので山と田んぼしかない道を帰ってこないといけません。部活をすれば帰りが遅くなる事や雨の日に自転車通学ができず行きは送れても帰りは無理だとか色々考えました。

子供も手はかからなくなったし、両親に迷惑をかけることになるけどボーナスが出る職場で働きたいと思い始め今の職場に転職して月に3~4回の夜勤をして休みはシフト制で働いてます。

何とか親の助けを借りながら中学1年の春まで実家暮らしをしていましたが安定した収入もあり貯金はありませんが2人で生活することを決め学校の近くにちょうど良い物件があったので、ここなら帰りが遅くなっても自転車で帰って来れるし雨の日も歩いて行けると思い引っ越しました。

夜勤の時は中学生とはいえまだ子供です。両親に来てもらうか子供を実家に帰らせるかしてまだまだお世話になりっぱなしです。

そして反抗期真っ只中の中学2年生の時はつかみ合いのけんかや泣きながら怒鳴ったりぶつかり合いました。

スマホやゲームで夜更かししたあげく学校は休む、部活は休む。夜勤明けで学校から着信に気づき電話すると子供が来ていないとの事。携帯に電話すれば「気分が悪くて休んでる」と平気で言う。

無断欠席はするな。と注意したらおばあちゃんを使って学校に欠席の電話をさせる。私がずる休みはさせないと言っても学校に行こうとしない。先生に嘘の理由の連絡をすることもしばしば。

この時は母子家庭だからかなと本気で悩みました。泣きました。怒りました。

反抗期があることはとても良いことです。でも簡単に学校を休むということが私は許せなかったのです。

でも反抗期の思春期の息子は素直。言いたいこと言って、したいことして私からどれだけ注意されても笑顔で学校やお友達の話をしてくれます。平気で「くそばばあ」とか「馬鹿アホ」とか言ってきます。腹立ちますけどその度に怒っていたらこっちが保たないので「はいはい」と軽く聞き流しています。

異性の親子ですが私が男勝りの考えだからか仲良し親子です。

母子家庭の子供だって明るく元気に育ちます、シングルマザーだって笑って生きていけるんです

私は思います。子供の本当の気持ちは分かりません。本当は父親が恋しくて会いたくて仕方がないのかもしれません。でも子供の周りにはお母さんだけじゃなくておじいちゃんやおばあちゃん、近所の方、お友達たくさんいます。

もし1人で不安で悩んでるシングルマザーがいるのならどうか前向きな気持ちになって欲しいです。前向きに生きていれば必ず子供も自分も笑って過ごせます。

金銭的には余裕はありませんが血の繋がった親子は切っても切れないんですよ。

もう少し社会が母子家庭の母親が仕事をするにあたってバックアップしてくれたり、国が援助してくれたなと思いますね

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