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体験談

シングルマザーで仕事に就き14年、この14年間で転職を4回しました

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シングルマザーで働き始めて14年、そして今もその日暮らしでも笑って元気に生きていくため、息子がちゃんと自立していくため、自分の老後も考えながら月給20万ちょいの収入の私の体験談です。

高校卒業後、社会人になってもうすぐ30年、その間妊娠、出産期間を含め無職期間約4ヶ月、シングルマザーで仕事に就き14年、この14年間で転職を4回しましたが、今の介護職に就き10年目になります。

大変な仕事のなのに給料は安いですが、何の取り柄もない4ヶ月の子をもつ30代のシングルマザーがフルタイムで働け、正社員登用がある仕事はこの仕事しかありませんでした。

一昔前に流行った「3K職業」である今の仕事ですが、私はこの職業で定年を迎えるつもりです。

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社会保険が付いてればどんな仕事でもします、私を雇って下さい

パート勤務なんて独身の頃は考えたこともなかったし、したこともありませんでした。アルバイトは社会保険がなく短時間のみ、パートは社会保険付もあるしフルタイムで働けて自分の都合をある程度は聞き入れてくれる。ということをシングルマザーになって知りました。

14年前は今のようにネット環境も普及していなくて、2ヶ月の子供を抱えて職安に行くことも出来ず、新聞の求人欄や求人チラシだけが私の仕事探しの情報源でした。子供を養っていくため、自分の老後の事を考え私には社会保険が必要でしたが、32歳、女性、日祝日、年末年始休み、日勤のみ、通勤距離20km範囲内の正社員の仕事なんてありません。
ようやく自分の条件に合った仕事が食材配達の仕事で「子育てママ活躍中」と書いてあり、車の運転も身体を動かすことも好きだったのですぐに面接に行きました。

履歴書って扶養家族や配偶者の有無の欄がありますよね。私はシングルマザーですから扶養家族有、配偶者無になるのは当然のことでその履歴書を見ながら母子家庭と気付かれたようで「ここには子育て中のママさん達も頑張ってるからすぐに馴染めると思いますよ」と言われホットしました。その後扶養家族は何人か子供の年齢を聞かれ、1人で2ヶ月になったばかりと答えると面接の方の表情が険しくなりました。

子供が熱を出したとき、預け先は決まっているのか、預け先からお迎えの連絡があったときはどう対応するのかを聞かれ私は「子育てママ活躍中」って書いてるじゃない?!と正直そんな事を聞かれるとは思っていなかったのでびっくりしました。

「両親と一緒に住んでいるからその時は両親にお願いできると思います」と不可能に近い返事をとりあえずしました。預け先は自宅近所の保育園2カ所に申し込みましたが未満児の受け入れの空きがなく空き待ち状態であることを告げました。すると「うちは自分のフィールド(地域)を持って頂きそのフィールドは自分しか回ることができませんので出勤日に子供が熱を出したから休むということはお客さんにも迷惑かけることになるし、この会社の信用もなくなる可能性もあるので、その辺を理解して頂いて、子供さんの事をどう対応するかをよく考えておいて下さい」と言われ面接は終わりました。

両親にこの事を話し、もしもの時は対応できると言われ、役所勤めの友達に保育園の話をしていたら行政区は違うけど自宅から車で約15分弱で仕事に行く途中にある友達も預けている保育園がちょうど未満児が入れるとのことですぐに手続きを行いました。4ヶ月になる少し前の6月からの入園が決まり、その間は個人でされてる託児所に預けるつもりで仕事復帰への準備は整ったのですが、先方から不採用の結果通知が来てしまいました。

愕然としましたね。この事を友達に話すと、よくその会社の車に子供乗せて走ってるの見るとの事。皆具合の悪い子供を連れてまで仕事してるんだということを知り、「子育てママ活躍中」なんて良いようにうたってるだけで実際皆強要されてるんじゃないと思いながらも、そこまでして働かないといけないのかなとも思いました。そこの会社で働くママ達、子供達どうか身体と事故だけは気を付けて頑張ってほしいと心から願いました。

それからまた仕事探しですが、2ヶ月の子供を持つシングルマザーをフルタイムのパートでも雇ってくれる所なんてないのかなと落ち込みながらも、ホテルでもスーパーでもパチンコ屋の清掃でもいいと思うが休みがシフト制だったり短時間のアルバイトだったりで見つかりません。

シフト制で保育園が休みの時は両親に預ける事も考えましたが、未婚で出産する覚悟を決めたとき「何もしてあげれない」と半泣きした両親に「当てにはしない」と言い切ったものですからやっぱり無理だなと思い断念するしかありませんでした。

そんなある日、父の知り合いの方が老人ホームの調理場にパート勤めしていたけどこの頃やめてるから募集してるかもしれないと教えてくれました。父情報によると社会保険もあって自宅から車で10弱の場所。休みはわからないとのことでしたが休みはパートだから希望を言えばなんとかなるかもしれない、と思い履歴書に日祝日休みで8:00から18:00の勤務を希望と書いて面接に行きました。

そこでもやはり子供の年齢を聞かれ、ぎりぎりの人数で回してるから極力急な休みは控えて欲しいと言われ、結局不採用通知が届きました。社会の冷たさを身をもって感じ、シングルマザーは普通に働くことは出来ないのかととても悔しくて悲しかったです。この時シングルマザーということよりもこの先仕事が見つからなかったらどうしようという不安の方が強かったです。

子供の出生届の手続きをした時「頑張りよ。ね、頑張らんといかんよ」と私の腕をつかみ励ましてくれた中学の先輩に役所で会って「何か仕事ないかな、何かあれば紹介して」と言うと職安からの求人案内があるから見て行ったらと言われ見てみるが条件に合う仕事は無い。私を雇って下さい、私に仕事を下さい、もう社会保険はいいですという不安と焦りの毎日、嫌いだけど営業の仕事にも目を向けて探してみようかと前向きに考え始め就職活動始めて1ヶ月が経ち、子供も3ヶ月になりました。

ちょうどその時に母親の生命保険の担当の方が来られて、その人の事は私も前から知っていたので未婚で出産したこと、仕事を探してることを話すと「うちにおいで、いっぱい母子家庭の人いるよ」と言ってくれて給料面や待遇なども細かく説明してくれました。

保険外交員は営業の中でも絶対にしたくないと思っていた職業でしたがそんな事言ってる余裕はなく、その人も支部の支部長に昇格されていてこの人が近くに居てくれたら心強いなと思い、自分の頑張り次第で給料は男性よりも多くなるときもあると聞き、とりあえず少し考えるとその時はそこで終わっていました。

保育園に行くまで一ヶ月足らず、早く仕事を見つけないといけないけど、保険外交員が頭から離れず、その人が別の外交員さんを連れて会いに来てくれました。その人は私と同じ歳でシングルマザーでした。実際、目の前にシングルマザーで保険外交員をしている人がいると思うと自分もやっていけるんじゃないかと思ってしまい、お世話になることを決意しました。
仕事探し始めて約1ヶ月半、ようやく光が見えてきたのです。

意外にシンママは多く、シングルマザーに優しい職場有り

1ヶ月か3ヶ月の研修期間と採用試験に無事合格し、子供と私は保育園デビューして生保レディーとしてのシンママとして社会復帰をしました。

実際自分と同世代やシンママも多く安心しました。子供が熱を出したときも保育園から疑われないようにと気を使って頂き携帯ではなく職場に連絡をしてくれたり、微熱程度なら保育園につれて行けてたし、高熱じゃない限りお迎えの連絡は殆どありませんでした。

お迎えにいかないと行けないときも「早く行ってあげなさい」と言ってくれたり、お迎えの時間に間に合わないときは代わりに行ってくれたり、一度お迎えに行って支部内でみてもらったりとほんとに動きやすい職場で、この仕事で何とか頑張れるかもと本気で思っていました。

今は保育園も色々規定が厳しいようですぐにお迎え、休みなどの対応をせざる終えない状況だと聞きますがこの当時はほんとに働く親のための保育園でしたね。

入社して半年位は給料は保証されていたので贅沢しなければ親と同居してたし、子供も保育園料しか要らなくて十分間に合っていて明るい光が私たち親子を照らし始めたのです。

ですが、入社して不平不満に不安を持ちながら上司や先輩の助けを借り仕事に慣れてきた1年たった頃、契約が取れないと8万円に交通費から社会保険料ひかれ手元には6万円前後の給料しか入らないことを知りました。どれだけ地道に動いても頑張っても保険なんてそう簡単に取れる物ではありません。どうしても取れないときは自分で入るしかありませんでした。

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必要もないのに保険に加入して手取り8万円位の時があり、いくら親と同居しているから、子供は1人だからといっても毎月の支払いは変わらない訳でこんな状況がこれから先あるのかと思うと不安定な収入と時間があるようでないこの仕事を続けていく自信がなくなり1年半頃から転職の事を考え始めました。

以前の社会の冷たさを思い出しましたがきっと何かあると信じ、支部長にこの仕事を続けていく自信がないこと、給料面で不安があること、自分の上司について行けない事や、不安不満を洗いざらい話して辞めるつもりだということを言いました。だいぶ慰め褒められ説得されましたが意思は変わりませんでした。

それから間もなく求人チラシに私にピッタリの社会保険付のフルタイムのパート募集がありました。工場内での精密機器の検品、仕分け、梱包、出荷という地味そうな流れ作業でした。私には合わなそうなこの仕事、でも地味な作業の方が精神的に楽かもしれないと思い面接に行きました。結果は不採用という電話連絡が入りがっくりでしたが、担当の方が「もしよろしければ」と言われ私ドキッとしました。

私は若いとき4tトラックの運転手をしたことがあって車の運転は好きだということを面接の時に話したことを担当の方が覚えてくれていたらしく「もしよろしければ、希望された職種とは違いますが○○さんがトラックに乗っていたとの事で何か合う仕事はないか思っていたら同じ工場敷地内で出荷、運搬、雑務作業があるのですがどうでしょうか?」と何とも有難いお話があったのです。

断る理由なんてどこにもありません。すぐに「是非宜しくお願いします」と返事をしました。消えかかっていた光がまた私たちを照らし始めてくれたのです。

支部長に仕事が決まったから○○日で辞めます。と言うと目を丸くびっくりした支部長の顔。でも「私が毎月あんたに月10万円のお手当を出すことが出来るなら残ってもらいたいけどそれは出来ないしね、あんたも思い切りのいい人やね」と苦笑いされました。でも何か嬉しかったです。工場の担当の方やこの支部長に生保レディーの仕事、シンママに冷たいと思った社会にこんな暖かく優しい人がいる職場もあるんだなと思いました。

そして生保レディーを円満退職し次の日から社会保険、交通費有り時給750円日祝日休みで自宅、保育園から車で10分位8:30~5:30のフルタイムパートが始まりました。

そこには主婦のパートさんや独身の若い子、家庭持ちの男性、女性、孫がいる定年退職した方など幅広い年齢層の方がいて皆さん暖かく迎えてくれました。

私の仕事は定年退職した60過ぎのおじさま達と一緒に1日4回の2tトラックの運搬を午後から1回と荷物の積み卸し、梱包箱作り、たまに倉庫片付けなどの力仕事でしたが私に合ってる仕事でした。

子供が熱を出したら休ませてくれる、皆さんいい方達ばかりですぐに打ち解ける事ができて優しい職場でした。
子供が4歳になる頃、工場閉鎖とショッキングな話が出てきてパート勤務の場合だと希望退職者には給料4ヶ月分と有給の買上げをするとの事で私の場合50万弱でした。

このまま閉鎖するまでしがみついてる余裕もなくまた仕事探しをしないといけなくなりました。が、捨てる神に拾う神有りと言いますが、ほんとにいいタイミングで今の介護士になるためのきっかけとなる出会いがあったのです。

そして介護士に

自宅から車で10分位にある老健施設の介護職。それは同じ職場のおじさま達が仕入れてきてくれた情報で、未経験でもOKとの事でしたが年中無休で24時間稼働している施設であり夜勤やシフト制の休日ということも知っていて少し考えましたが、ダメ元で日祝日、年末年始休み、日勤のみの勤務で社会保険加入を希望と履歴書に書き面接してもらいました。

事務長と看護師長との面接。シングルであること子供が保育園児で夜勤はできない、両親は仕事をしているから子供を見る人が自分しかいないことや子供が病気をしたときに休めるかを話しました。扶養範囲内のパートさんしかいなくて私世代が少ないことを説明されだめかと思ったら、全て受け入れてくれてフルで働けるようになったら正職員として頑張って欲しいと言われ、採用が決まりました。

工場を退職しすぐに新しい職場へ勤務。全くの未経験で介護の勉強すらしていない私は約1ヶ月は介護に携わる事なく雑用が主でした。でも職員さんがシングルマザーであることや子供が小さいことを受け入れてくれて遅くなりそうなときは「時間よ、早く帰らないと保育園間に合わないよ」と背中押してくれたり、子供が体調崩して休んだ次の日は「もう大丈夫?」など声かけてくれたり雑用しかしていない私に「もう少し我慢して頑張ってね、何か分からないことあったら聞いておいでよ」と携帯番号の書かれたメモをくれたり、ほんとに気にかけてもらいました。

途中心が折れてしまいそうな事もありましたが気合いと根性で7年間勤めました。
試用期間が終わって正職員の話がありましたが、もう少し子供との時間を優先したいと断り時給が50円UPの800円になり働くこと6年。時給が全く上がらない事を部署の上司に聞くと上限が800円と知り、どれだけ頑張っても給料は増えないと思うと急にやる気がなくなり転職を考えるようになりました。

色々考えた結果、ここまで支えてくれたこの職場を嫌な思いで退職するのは嫌だなと思い、辞める事を考えていると相談すると、看護師長と事務長、直属の上司から時給を上げるから、正職員になって夜勤もできる日、できる回数で入って休みも考慮すると好条件を次々に言ってきます。

とても有難い話で、思いとどまろうかと正直思いましたが、自分だけ好待遇で働くことはできませんでした。子供小学5年生、夜祖父母とお留守番ができるか、学校が休みの日私がいなくて大丈夫かを聞くとあっさり大丈夫と言われてしまいました。でもそのおかげで転職する決意ができました。

そして今の職場で週末のみで月3~4回の夜勤を子供の理解と両親の協力のおかげで介護福祉士の資格も取得し4年勤めています。今の職場介護士、看護師含め100人位いるのですが2割~3割が母子家庭と非常に多いです。私の4回の転職結果、母子家庭を面倒だと思う社会がある反面でこんなに応援してくれる優しい職場もあるとわかりました。

納得いかない事や大変な事も多い職場ですが、子供の成長と共に、自分も成長しています。この介護の仕事で良い職場とは言えない所もあるこの職場で私は定年を迎えるつもりです。迎えられたらいいなと思っています。
シングルマザーになって14年、定年まで後13年身体が付いていく限り頑張りたいですね。

まとめ

何の取り柄も資格もなく考えるだけの毎日を送っていませんか?
考えてるだけじゃ何の進歩も変化もありません。せずに後悔するよりもして後悔した方が自分にプラスになると私は思っています。
1人で子供を養っていく勇気や根性があるんですからいくらでも明るい道は開けますよ。100発100中は不可能ですが100発10中は可能です。その可能性を信じて、疲れた、仕事行きたくないと言いながら今日も元気に行ってきます。と言える頑張るシンママに一緒になりましょう。

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